映画「どっこい生きてる」と中島飛行機武蔵製作所

 2019年12月、文化村分化会*で映画「どっこい生きてる」の鑑賞会が開催された。当時ニコヨンと呼ばれた日雇の労働者たちの日常が描かれた「どっこい生きてる」(1951年)は独立プロの作品で監督は今井正、製作には前進座も関わっている。前進座が当会の調査研究の対象であることも今回の鑑賞会の背景にあったが、それ以上にあることを検証する目的があった。

 2014年にわたしは初めてこの映画を観ている。そのとき、序盤に登場する爆撃によるものであろう瓦礫の山から鉄などの資源を回収する労働現場が、戦後の中島飛行機武蔵製作所跡地ではないか、と直感した。野球場(グリーンパーク球場・1951年竣工)のスタンドらしきものが見えた瞬間、そうとしか思えなくなってしまったのだ。しかも製作には武蔵野にあった前進座も関わっている。きっとそうに違いない!といつもの思い込みに突き動かされてすぐに調査を開始したのだが、まるで手掛かりはみつからなかった。唯一、Twitter中島飛行機武蔵製作所がロケ地だと断定していた人をみつけ、すぐさまコンタクトをとったのだが、応答はなかった。

 それでも思い込みは捨てきれず、文化村分化会のメンバーに「いっしょに検証してほしい」と呼びかけ、開催されたのが冒頭の鑑賞会だった。結局、鑑賞/検証会ではその可能性は高いが確定はできないということになり、「武蔵野の空襲と戦争遺跡を記録する会」代表の牛田守彦さんに検証していただくことになった。その結果、「背景に野球場の鉄塔と、西工場の廃墟が見える、東工場の廃墟(第二本館)も見える」ことから中島飛行機武蔵製作所東工場の一部がロケ地であるだろうとの返答をいただいた。牛田さんは今後も検証を進めてくださるとのことで、心より感謝申し上げます。

 だが、こうして中島飛行機武蔵製作所東工場部分がロケ地だったと確定されると、また新たな問いも生まれてくる。東工場跡地(その一部は上記の野球場となった)がこの時期にどこの管理下にあったかは不明だが、そうした状況下でロケはどのように行われたのか?そもそもロケ地の選定過程も気になってくる。今後も会では調査を続けていきたい。

 

(むさしの科学と戦争研究会https://www.facebook.com/musashinoantiwar/
発行のニュース『科学と戦争』創刊号(2020年冬)に寄稿した文章です。)

 

*文化村分科会:吉祥寺文化村について調査、検討するグループ。むさしの科学と戦争研究会の中に、有志により2019年秋につくられました。