冊子vol.2〜朝鮮戦争と日本社会〜

今号からしばらく

朝鮮戦争と日本社会”を大きなテーマにしていきたいと思います。

 

〜『猫が星見たー歴史旅行』vol.2を本日刊行しました。〜

 

 

その最初のテーマは「日本人にとっての朝鮮戦争」です。

 

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 1953年7月27日、板門店朝鮮戦争の休戦協定が調印されました。休戦協定は米国が支配した国連軍司令部の代表、朝鮮民主主義人民共和国(以下、北朝鮮)の人民軍、中華人民共和国(以下、中国)の義勇軍が調印しました。韓国は調印しませんでした。現在も、最終的な平和条約には至っていません。分断と恐怖と軍事化を特徴とするこの国際的な体制は現在も消え去っていないのです。またこの戦争は多くの点で1950年代全体を通じて日本の運命にも影を落とし続けました。
 日本は、敗戦後、連合国の占領下に置かれましたが、その実質的な統治は米国によりなされました。その米国が対日方針を懲罰的なものから寛大なものへと大きく転換したのは冷戦を背景としてのことでした。そして朝鮮戦争の勃発は、平和国家としてスタートした戦後日本のあり方を形骸化させることになりました。在日米軍基地の固定化と日本の再軍備が始まったのです。憲法の理念と明らかに矛盾する体制はこの時から始まっていました。このように朝鮮戦争は戦後日本のあり方を規定しました。ターニングポイントだったのです。

 日本の文脈では、朝鮮戦争をめぐる人びとの記憶は間接的で非軍事的な側面に焦点が当てられる傾向があります。とくに強調されるのが、日本の戦後の高度経済成長への機動力となった朝鮮戦争の特需の役割です。ですが、実際のところ、日本社会に住む人びとは特需のメリットを享受していただけではないはずです。様々な面で朝鮮戦争の影響を受けていました。例えば、朝鮮戦争サンフランシスコ講和条約のあり方に影響を与え、それは、日本国内における講和論議にも影響を与えたのですから。また、朝鮮戦争の発端はそもそも日本による植民地支配をどう払拭するかをめぐる戦いであったことは強調しておかなくてはなりません。解放後も日本に留まることになった在日朝鮮人も日本においてこの戦争に翻弄されることになりました。
 2015年の夏から秋にかけ、安保法制の論議が日本社会では盛んに行われました。安保法制に反対する人びとの間では、戦後の日本は、憲法9条により一切の軍隊を持たず、あらゆる戦争に関わらず、よって一人の戦死者も出さずにきた。一人も殺さずここまで来たのだから、これからも戦争のできる国にしてはならない。そういう声をよく聞きました。本当に、戦後の日本は、一切の軍隊を持たず、一人の戦死者も出さずに、あらゆる戦争に関わらずにきたのでしょうか。実際は、そうではありませんでした。日米安保条約が締結され、米軍基地が固定化され、9条とは相矛盾した形で再軍備は進められてきたのです。そして今、その矛盾を「正す」べきだという声が大きくなっています。ですがそれは正しいことなのでしょうか?それよりもなぜ私たちはそうした矛盾を認めてきたのか。認めてきてしまったのか、ということについて自省するべきなのではないでしょうか?

 わたしが朝鮮戦争に焦点を当てて日本の戦後を再検討しようと思ったのは4年ほど前でした。そのときは日韓会談について日本社会を対象に勉強していました。その中で朝鮮戦争についての態度が多様で、それぞれのグループ、個人、そして社会全体と見渡すとなんとも温度差があることに気づきました。また、朝鮮戦争といっても、人びとはそれ自体にいくつかの側面を見ていたり、人によっては自分の過去との関係からより朝鮮の人たちに気持ちを近づけている人もいたりしていることが見えてきました。また、今度は、朝鮮半島の人びとにスポットを当てた朝鮮戦争を主題とした映画や本、在日朝鮮人の方のエッセイを読んだりもしました。すると、それまでさらっと朝鮮特需で日本の経済は持ち直した、だとか、1950年に朝鮮動乱が起き53年に休戦協定が結ばれた、などとほんの数行だけ記述して済ませていた自分の想像力のなさに愕然としました。同時にそんな風に想像しないままにいられたことにこそ、何か戦後の日本社会を見つめ直すポイントがあるのではないのだろうかと思い始めました。そんなところから少しずつ今も日本社会にとって朝鮮戦争とは何だったのかということついて勉強を続けています。

 ここまでみてきたように、朝鮮戦争は日本の安全保障(在日米軍の固定化、再軍備)のあり方を規定しました。そのことにより、国のあり方を定めた憲法と相矛盾する体制を現在まで続けることになりました。つまり、矛盾を抱えた戦後日本社会の原点ともいえるのが朝鮮戦争です。それからもうひとつ忘れてはならないことがあります。朝鮮戦争はそもそも日本による植民地支配をどのように払拭するかをめぐる戦争でしたが、そのことが現在まで日本社会できちんと議論されていないということです。
 朝鮮戦争は、戦後の日本社会でほとんど注目されずに来ました。それはどうしてだったのでしょう?「シリーズ“朝鮮戦争と日本社会”」では、日本社会が朝鮮戦争をどのように見ていたのか、様々な人びとを対象に、様々な角度から検討していこうと思います。まず、今回から数回にわたっては、多数の日本人にとって朝鮮戦争はどのように受け止められたのかということにアプローチしてみたいと思います。当時の人びとが、朝鮮戦争をめぐってどのようなことに関心を持ち、どのような態度をとったのか。新聞や雑誌、国会論議などを通じて、できるだけ当時のムードに近づいていきたいと思っています。そしてそこから今度は現在を見つめ直してみたいのです。そうすることでここから先、わたしたちがどのような態度をとるべきなのか見えてくることを願っています。