朝鮮国連軍と日本

 ここ数日、まるで戦争前夜であるかのような雰囲気が日本社会では醸成されています。今までも朝鮮民主主義人民共和国(以下、北朝鮮)を脅威とみなすことで、様々な背景を見ることを放棄するような議論が日本社会では跋扈していましたが、ここ数日は、それ以上に、もはや冷静な思考や判断などする余地がないほどに「脅威」を煽る報道ばかりが目立ちます。このような状況の中でこそ、立ち止まって、今ここに至るまでの経緯や背景を見返しておくことが必要です。事実を直視することから始めましょう。何が本当の脅威なのか?各自で見極め、本当の脅威を正しく怖がることがやるべきことだと私は思います。

 ここでは、改めて、朝鮮戦争勃発直後から現在まで、日本には朝鮮戦争の後方基地の役割が課せられてきたという基本的な事実を改めて確認しておきたいと思います。

 

 東京の西部にある横田飛行場。ここには日本の国旗、米国の国旗の他に、淡い青地に白抜きの図柄のある国際連合の旗が掲げられています。私が意識するようになったのは割に最近のことです。

 

http://www.mod.go.jp/asdf/adc/

(*横田飛行場に司令部が置かれている航空自衛隊航空総隊のHPで国連旗が確認できます。)

 

 H市の外れにあるミッションスクールに入学して間もなくの頃、私は担任のシスターから、この学校の校舎は横田飛行場離発着の米軍機が飛来する際の騒音を防ぐために二重窓になっていること、そのための補助金が出ていることを聞きました。もうずいぶん前のことです。。。

 横田飛行場が隣町のF市とM町にあることは知っていましたが、それまで騒音だとか、米軍機の存在を身近に感じたことがなかった私にとって、その時が基地の存在を明確に認識した最初でした。実際に、校庭で体育をしていると辺りが暗くなるほどに低空飛行する米軍機があったこともありました。また横田飛行場の近くに住む友人も何人かいて、騒音の話は聞いたことがありました。ですが、その横田飛行場が在日米軍基地の中でもどのような位置付けのものなのかということにまでは関心は向かず、国連旗のことも目に入っていたとしても何ら気にすることはありませんでした。

 

 朝鮮戦争は1953年7月27日、朝鮮国連軍と北朝鮮中華人民共和国(以下、中国)との間で締結された休戦協定によって現在まで64年間の「停戦」状態が続いています。朝鮮国連軍は在韓米軍司令官・在韓連合軍司令官が司令官を兼任する形で現在も存続しています。それを後方から支え、朝鮮半島の有事事態に備えているのが日本に置かれている朝鮮国連軍後方司令部です。先ほどお話しした、日米の国旗の他に国連旗が掲げられていた基地というのはまさに後方司令部のある基地だったというわけです。朝鮮国連軍後方司令部の存在は日本社会ではほとんど知られていません。少なくとも、日本で反戦平和運動を担ってきた人びとの間でも、朝鮮半島が有事事態となった時にここが日本国内の後方基地拠点となることについてほとんど議論の対象になってきませんでした。

 

 ですが、実は、この後方基地の存在こそが、反戦平和運動の中でも象徴的存在とされる憲法9条を形骸化させた再軍備と、全土基地化を進めた日米安保条約と密接に関連しているのです。このことを指摘し続けて来なかったことは反戦平和運動において大きな問題だったのではないかと思っています。 

 さて、ここからは国連軍とはそもそも何か?というところまでさかのぼります。朝鮮半島の現在の「緊迫状態」とはいかなるものなのかを私たちが考えるにあたって、その前提としての現状把握が今回のテーマです。

 

 国連軍の根拠となっているのは国連憲章第7章です。国際連合の目的達成のために、その指揮下で使用される軍隊を指します。第7章で予定していたのは、平和の破壊国に対して取られる強制行動に使用される兵力でした。これは国連常備軍ではなく、都度、加盟国が提供する兵力によって編成されることを想定していました。そして、その際には、憲章43条にあるように国連と加盟国との間であらかじめ特別協定を結び、加盟国の兵力の一部を安全保障理事会の利用に委ねることが定められています。ですが、多くの方がご存知のように、このような協定は今まで一度も結ばれていません。よって本来の意味での国連軍は実在しないのです。

 では、朝鮮戦争の際に、組織された国連軍とは何なのでしょうか?朝鮮国連軍司令部は、1950年6月、北朝鮮の韓国侵略に対する国連の対抗措置として創設されたもので、韓国の安全を回復するための国際的な軍事組織です。国連安全保障理事会の決議第2号(Code;S/1501)では1950年6月25日の北朝鮮の韓国侵略を、平和に対する破壊行為として規定しました。また安保理決議第3号(Code;S/1511)では国連加盟国に対して北朝鮮の武力攻撃を撃退し、国際平和と安全を回復するための対韓国支援を勧告しました。これらの決議に基づいて朝鮮国連軍司令部は創設されたのです。(金斗昇(2012)「国連軍司令部体制と日米韓関係—いわゆる朝鮮半島有事に焦点を合わせてー」『立教法学』第86号)安保理は、朝鮮での軍事行動の指揮権を米国に委ねることとし、決議で米国軍に統一司令部の司令官の任命を要請し、他の加盟国に対してその軍隊を合衆国の下にある統一司令部に提供することを勧告しました。

 なお、朝鮮国連軍創設に至る一連の安保理決議は、ソ連の欠席の中で採択されたものであり、その後にソ連安保理へ復帰するとともに安保理が機能不全に陥ったことはよく知られています。こうした実態に照らし合わせてみると、朝鮮国連軍とは実際には米国を中心とした多国籍軍だったことが改めて確認できるでしょう。とはいえ、朝鮮戦争の際に、「国連軍」が組織され、そして「国連軍」として唯一の軍事強制行動がとられたということは厳然たる事実です。いずれにせよ、60年以上前に組織された国連軍は今でも機能しているということ、そしてその後方司令部が日本国内に存在しているということは日本社会においてきちんと認識しておくべきことだと思います。

 

  • 朝鮮国連軍と日本との関係

 朝鮮国連軍司令部は、今まで見てきた一連の国連安保理決議に基づいて1950年7月7日に、東京において設置されました。この時、日本は、連合国軍(実質的には米軍)の占領下にありました。その後、日本は、朝鮮戦争の真っ只中の1951年9月8日に、サンフランスコにて講和条約日米安保条約を締結して国際社会へ復帰しました。同じ日、吉田茂首相はアチソン米国務長官と、「吉田・アチソン交換公文」に署名しています。アチソンは、ここで当時すでに行われていた朝鮮国連軍に対する支援を追認すること、講和条約の発効後も、現に朝鮮半島に不幸な事態が続いているので引続き日本に朝鮮国連軍を支援することを要請しました。吉田首相はこれを受け入れました。以上のように米国は日米安保条約を締結し米軍の日本駐留と日本国内の基地使用権を確保し、また同時に、朝鮮国連軍に対する全面的な支援を日本政府に要求したのでした。(金斗昇前掲書)

 1954年2月19日には、日本政府は国連軍加盟国と「国連地位協定(SOFA: Status of Forces Agreement)」を締結しています。

 

(同協定は、データベース「世界と日本」(政策研究大学院大学東京大学東洋文化研究所)で全文参照可。)

http://worldjpn.grips.ac.jp/documents/texts/JPUS/19540219.T1J.html 

 国連軍側の締約国は、米国、英国、カナダ、オーストラリア、ニュージーランド南アフリカ、フランス、フィリピン、イタリア。のちにタイとトルコも加入し11カ国。この協定のキモは、朝鮮国連軍司令部が日本国内の国連軍司令部の基地を日本政府が事前承認をしない場合でも使用可能とするということでした。その後、1953年7月27日に朝鮮戦争の休戦協定が締結され、1957年7月には極東地域における米軍の指揮体制が変更されたことを受けて、東京にあった朝鮮国連軍司令部はソウルへと移設されました。そして日本国内には、今度は後方司令部が置かれることになりました。(金斗昇前掲書)後方司令部には、現在4名が常駐し、8か国(英国、カナダ、オーストラリア、ニュージーランド、フランス、フィリピン、タイ、トルコ)の駐在武官が朝鮮国連軍将校として在京各国大使館に常駐しています。

 朝鮮国連軍後方司令部は開設以来、ずっと在日米陸軍司令部のあるキャンプ座間にありましたが、2007年に在日米軍司令部・在日米空軍司令部の置かれる横田飛行場に移転しました。その後2012年3月には、日米軍事一体化政策の一環として横田飛行場に航空自衛隊航空総体司令部などが移転しており、横田飛行場を拠点として在日米軍自衛隊、朝鮮国連軍の三位一体化が進められている状況となっています。(高林敏之植民地主義的戦争としての朝鮮戦争と日本—アフリカの朝鮮国連軍参加と朝鮮国連軍後方司令部—」([PRIME主催国際シンポジウム]朝鮮戦争をいかに克服するか:「朝鮮国連軍」を問い直す、配布資料))

 現在、朝鮮国連軍は、国連地位協定第5条に基づき、横田飛行場を含めた日本国内7か所の在日米軍施設・区域(キャンプ座間,横須賀海軍施設,佐世保海軍施設,横田飛行場,嘉手納飛行場普天間飛行場,ホワイトビーチ地区)を使用することができるとされています。これらの後方基地には国連軍の旗があります。