雑感*朝鮮戦争について

 冊子『猫が星見たー歴史旅行』1号では、安全保障について、自衛隊について、もっというと軍について、個人として向き合うことの意味を検討しました。

 

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 安全保障といえば国家の専権事項と言われていて、現代ですとテロ行為など脅威の対象が国家ではない場合もありますが、それでもそうした脅威に対する対処、対応するための態度、方針を決定するのは国家です。ですが、ここで態度、方針を決定する国家と私たち個人の利害が必ずしも一致するとは限らない。むしろ全く異なるかもしれない。そうであるならば、安全保障、軍について思いをいたすとき、国家という視点でばかり考えることはやめて、個人、つまりあなたや私の視点で考えることが重要なのではないか?ということをお話ししました。

 そして次号以降では、安全保障のあり方を含む戦後の日本のあり方全体を方向づけた朝鮮戦争について考えていきたいと思っています、ということを巻末の次号予告でお伝えしました。

 

 そんな中で、ここ数日、日本社会では、朝鮮半島情勢の緊迫がメディアで伝えられるようになっていますが、ここでも私たち個人にとって、一体何が脅威であるのかということを冷静に考えることがとても大切なのだろうと思います。

 

 冊子の次号以降では、以下のように朝鮮戦争と日本社会の関係を様々な観点から考えていきたいと思っています。関連する投稿はこちらのblogでも書いていきます。

 

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日本は、敗戦後、連合国の占領下に置かれましたが、その実質的な統治をしたのは米国でした。その米国が、対日方針を「峻厳な講和」から「寛大な講和」へと大きく転換したのは冷戦の開始がきっかけでした。(細谷千博1984)『サンフランシスコへの道』、中央公論社。)さらに冷戦の熱戦化といわれた朝鮮戦争の勃発は、平和国家としてスタートした戦後日本のあり方を早くも形骸化させることになりました。すなわち、在日米軍基地の固定化と日本の再軍備です。朝鮮戦争は戦後日本のあり方を規定しました。ターニングポイントだったといえるでしょう。

米ソ対立、冷戦の開始は、占領下の対日政策に当然に影響を与えました。占領政策の方向性を示した「初期対日方針」においては、平和産業と占領軍への補給に必要でないものや現存する資本設備、施設を引き渡すことが指示されるなど、日本にとって厳しい内容が検討されていました。ですが、それは早々に米国の方針転換によって、とくに賠償政策が緩和されるなど経済面でゆるやかなものとなっていきました。なぜでしょうか。それは、従来の米国・国務省による「峻厳な講和」方針では共産主義の浸透・拡大に対抗できないとされたからです。米国は、東アジアにおいて何としても、日本の共産主義化を食い止めなければなりませんでした。だからこそ、本来ならば講和条約によって決定すべきであった日本の政治的・経済的安定化を、講和条約前に既成事実化するという方針に転換したのです。以降、米国の対日方針は基本的に冷戦の論理によって動き、講和は「峻厳な講和」から「寛大な講和」へと完全に転換していきました。

その後、米国国務省の方針は、冷戦状況においては「早期講和」こそが日本を共産主義陣営へ取り込まれずにひきとどめる唯一の方法だとして講和時期についても方針転換しました。早期講和への転換の背景には、1950年6月25日勃発した朝鮮戦争が関係していました。朝鮮戦争の勃発というアジアでの冷戦激化、さらに中国義勇軍の戦争への大規模介入は対日講和問題の展開に大きな影響を与えたのです。

また、朝鮮半島へ目を転じれば、朝鮮戦争の発端はそもそも植民地支配をどう払拭するかをめぐる戦いでした。(朴一(2015)「在日コリアンからみた朝鮮戦争」『アジア政治経済学会 アジア研究』第61巻第2号,p16。)また解放後も日本に留まることになった在日朝鮮人も日本においてこの戦争に翻弄されていました。このように、朝鮮戦争は、戦後日本社会において、朝鮮半島との関係と照らして見ても決して対岸の火事ではない問題だったのでした。

 では当時の日本社会では、朝鮮戦争をどのようにみていたのでしょうか。朝鮮戦争といえば「朝鮮特需」という経済的なもので間接的なものだったというのが、当時の一般的認識だったとされています。朝鮮戦争は、時間的にはアジア太平洋戦争とも朝鮮植民地支配とも隔離して認識され、空間的にも、日本は戦争の直接的暴力から地理的に隔離されているとみなされていたのです。(永井史男・脇村考平(2015) 「特集:朝鮮戦争と日本 序」『アジア政治経済学会 アジア研究』第61巻第2号,p1。)

 2015年の夏から秋にかけ、安保法制の論議が日本社会では盛んに行われた。その中で、安保法制に反対する人びとの間では、戦後の日本は、憲法9条により一切の軍隊を持たず、あらゆる戦争に関わらず、よって一人の戦死者も出さずにきた。一人も殺さずここまで来たのだから、これからも戦争のできる国にしてはならないと、いう声をよく聞きました。本当に、戦後の日本は、一切の軍隊を持たず、あらゆる戦争に関わらずに一人の戦死者も出さずに、殺さずにきたのでしょうか。実際は、そうではありませんでした。日米安保条約が締結され、米軍基地が固定化され、自衛隊を持つことと9条とは相矛盾した形で戦後一貫して存在してきたのです。特に、朝鮮戦争においては、占領下の日本は、朝鮮戦争に全く関与しなかったわけではありませんでした。

 朝鮮戦争は、ここまでみてきたように、日本の安全保障(在日米軍の固定化、再軍備)のあり方を規定し、朝鮮半島と日本との関係においても重要なターニングポイントでした。いわば、戦後日本社会の原点ともいえるのが朝鮮戦争です。にも関わらず、朝鮮戦争は、戦後の日本社会でほとんど注目されずに来ました。それはどうしてだったのでしょうか?私はこの問いを掲げながら、戦後の日本のあり方を規定した朝鮮戦争を当時の日本社会がどのようにみていたのか、様々な角度から検討していきたいと思っています。日本社会を構成する私たちにとって朝鮮戦争がなんだったのかを確認する作業を通して、日本の戦後そのものを問い直すことができたらと願っています。