帰国事業の痕跡をたずねる2〜旧武蔵野市役所敷地内の記念碑と木犀の樹

シリーズ「帰国事業の痕跡をたずねる」2回目の今回は、地元の、東京武蔵野市にある記念碑を紹介したいと思います。

 

帰国事業の記念碑が武蔵野市内にあるということは、あまり知られていないでしょう。

 

それは仕方のないことで、どうしてもみようとしない限り目に触れないわかりづらい場所にあるのです。それは現在の武蔵野市市民文化会館の敷地にあります。五日市街道沿い、成蹊学園より西側にあって市立中央図書館の向かい側に当たります。ここはかつて市役所庁舎のあった場所でしたが、老朽化のために1980年に現在の新庁舎が完成し、その跡地は現在の市民文化会館へと姿を変えたのです。

新庁舎が現在の場所に建てられた背景には、米軍宿舎・グリーンパークの返還が関係しているのですが、この点については、『軍と人びとー中島飛行機武蔵製作所の戦後史』で詳述しています。

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今回は、ここが武蔵野市役所であった1959年の12月。記念すべき第一船に乗って帰国する人びとと送る側の人びとの様子が描かれた記事をご紹介したいと思います。

 

“もくせいよ かおれ”と題された『武蔵野市報』1960年1月1日号の記事には、武蔵野市在住で今度帰国する人びとから贈られた帰国記念植樹の除幕式の様子が記されています。

 

 

 

“初めて祖国に帰るよろこびは何ものにも代えられません”と目に涙して多くを語りませんが、家財を処分しみんないづれは帰国してしまう隣の国の人たちです。

“これからもおたがいになかよくいたしましょう、市長さんはじめ皆さんも訪ねてきてください”と帰国者一同の記念植樹の碑が伊豆青の根府川石に刻まれ、朝日友好永久親善を祈っております。

 

 

 

実際には、一度帰国した人びとが日本との間を往来することは基本的には許されませんでした。現在もそれは変わっていません。ですが、この当時は、日本においても厳しい生活環境の中にあって、「祖国」へと渡る決心をしたのだろうと思います。

 

植えられたのは、木犀でした。「 “香り高い木犀を植えて来る秋も花季を忘れないで香るように”と1959年12月11日に市役所の門の傍に植えられ 」たのだそうです。今も、木犀は、市民文化会館の東よりの建物と隣の小学校の間でひっそりと佇んでいます。そして樹の手前には植樹の記念碑も街道に向かって静かに存在しています。

 

最後に、除幕式で送る側の職員コーラス部員が歌ったという歌を紹介します。

 

“さよならアリランアラリヨー

指折りかぞえ、幾年か

妻子をつれて はなれる日本

名残りはつきぬ 空の星“

 

この歌は、当時の民生部長が作詞し、「国際結婚、帰国船、平和の鐘」を歌っているそうです。帰国する人びとの複雑な心境が、どれほど送る側の人びとに伝わっていたのでしょうか。時代が過ぎて、今様々な経緯や状況を知っているからこそ、そんな風に厳しい目を向けてしまうのかもしれません。ですが、語られない中にある思いや背景を知る努力はいつの時代であっても心がけたいものですね。

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