原民喜と我が家。

 

 

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写真の家は、我が家です。我が家の前身といった方が正しいです。

これは、母方の祖父母の建てた家で写真は1950年8月のもの。

7月の時点ではもう少し小さい家だったようなので、増築したあとに記念に祖父が写真に収めたようです。

 

舗装のされていな道の向かいには、国鉄中央線が走っていました。

まだ当然、高架ではなかったわけですから目の前を電車が走っていたのでしょう。

 

時代は変わって、東日本大震災の翌年だったでしょうか、NHKの番組で『フクシマを歩いて、徐京植:私にとっての「3・11」』を見ました。

 

そのなかで原民喜の詩が取り上げられていました。

原民喜は広島で被爆し、原爆投下後の街や人びとの様子を何とか伝えようともがいた詩人、小説家ということで有名です。(詩「原爆小景」や小説「夏の花」など)

 

原発事故にしろ、原爆にしろ、その後の世界は、その現実は想像を絶するものであって、それを伝ようとすることの困難さを原民喜、それからプリーモ・レーヴィを取り上げることで徐さんは私たちに伝えてくれました。

 

原民喜は、しかし、被爆から六年後自ら命を絶ちます。朝鮮戦争で、アメリカによる三度目の原爆投下が取りざたされたときのことでした。

 

その時の原民喜の苦悩のことを思いながら番組を見ていて、それまでほとんど彼のことをよく知らなかったので少し調べてみたところ、

 

偶然、彼が亡くなったところ、自死した場所が我が家の近くであることがわかりました。


”1951年3月13日午後11時31分、国鉄中央線の吉祥寺駅 - 西荻窪駅間の線路に身を横たえ鉄道自殺する。享年45歳。”(wikipediaより)

 

また、偶然、ちょうど同じ頃に、朝鮮問題に注力していた藤島宇内という人のことを調べていたところ、彼と原民喜と親交があったことを知ったところでもありました。

 

原民喜の遺した数通の遺書の一つは藤島あてのものでした。

 

藤島宇内氏宛

 大変厄介なことをお願ひしますが、よろしく処理して下さい。
 佐々木基一君 講談社の大久保君 鈴木重雄君の三人にはすぐ連絡しておいて下さい
 渡すものが押入のなかにあります
 風呂敷に包んだ折カバンと風呂敷包みの書物と黒いトランク(名札をつけておきました)この三つを佐々木君に渡して下さい もう一つの風呂敷包みを群像の大久保君に渡して下さい
 佐藤春夫 奥野信太郎 丸岡明 山本健吉 庄司総一諸氏に手紙がありますがそれはそのうち渡して下さい
 切手をはった封書九通はすぐ投函しておいて下さい
 歴程詩集が出たら一冊左記へ送って下さい
 (祖田祐子氏の勤め先と名前)

 それから
 現代詩代表選集が出たら左記へ送るやう文芸家協会へ交渉して下さい
  広島市 幟町一六二ノ二 原 信嗣
 面倒なことばかりお願ひするのですが、これも詩の因縁でせう
 先日 能楽書林で「谷間より」を見せてもらひました お元気でやつて下さい
 あなたにはセビロ服をかたみに差上げます
(作品「悲歌」が同封された)

 

青空文庫より】

 

なんだか自分の中では偶然が重なったような気がしたのでした。

そしてつい昨年に、1950年のころの家の写真が出てきて、

ああ、ちょうどこのころに、原民喜は苦悩の末に亡くなったのだなあと思い、そしてその時、祖父や祖母、そして母はそのことにどう思ったのだろうか、そもそも知っていたのだろうか。そんなことを思ったのでした。

 

猫が星見たー歴史旅行

 だれでも、過去の上に築かれた現在を生きています。歴史を見る目をもつことは、過去を知るだけでなく、いまを見つめ、未来をみすえることにつながるのではないでしょうか。

 

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この冊子を発行するにあたって、これがどのような目的であるいはどのようなものを目指している冊子なのかということを示しておきたいと思います。

お気づきの方も多いと思いますが、このタイトルは、武田百合子の『犬が星見た―ロシア旅行』を模したものです。わたしが武田百合子の文章とこのタイトルが好きだから、という理由もあるのですが、ほかにも思いがあります。

猫が空の星を見上げる、そのさまには、とてつもなく遠く空間と時間を隔てたものをみている小さな存在を感じます。今の自分は今晩の寝床探しに熱心で、ちょっと見上げただけの星。でもなんだかきれいだな。そんな感想を猫はもつのかもしません。

 わたしたちは、今の生活に熱心で、それほど過去のことなど振り返らないでしょう。でもふとしたときに、過去、歴史を示唆する何かに触れて今にいたる過程に思いをはせることがありませんか?そうすると現在の出来事がまた違ったふうに見えてきたりする。きっとそんな経験が皆さんにもあるのではないでしょうか。わたしの場合は、今現在に起きている出来事―それは社会問題だったり、外交問題だったり、もっと個人的なことだったりします―について考えるとき、過去を振り返って「なぜ、今のようになったのだろうか?」と考えるのが習い性となっています。特に、大きな問題に直面したときには。 

 

 この冊子で読者の方々へ伝えたいのは、まさに、何か問題に直面したときの歴史的アプローチのすすめです。

 

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